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アリスは空中に奇妙なものが現れたのに気がつきました。最初のうちは何だか分りませんでしたが、1、2分よく見ているうちに、それがにやにや笑いだと分りました。アリスは「チェシャ猫だわ」とつぶやきました。
「調子はどうだい?」しゃべれるほど充分に口が現れるとすぐに猫が言いました。
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ホテルに戻っての夕食後、散歩に出かけた。午後8時半頃だったが、やっと日が沈もうとしているときでまだ充分に明るかった。日中の暑さの名残はあるものの、涼しい風が吹き始めていた。チェスターの街は歩いて回るのにちょうどいい広さだ。午後にはチェシャ猫狩りで忙しくてゆっくり見ている暇もなかった通りを、今度はゆるゆると歩いた。もう店はすべて閉まり、道路にあふれていた観光客の姿も今はまばらになっていた。
イギリスは日本と同じくらい治安のいい国らしい。日が沈むまで時間があるから散歩でもなさったら、とガイドさんも勧めるほどで、海外ではあってもまったく緊張しないで町の中を歩くことができた。(さすがにロンドンでは必ずしもそういうわけにはいかず、第一泊まったホテルがロンドン警視庁のすぐ向かいだったので、部屋の中まで聞こえてくるサイレンの音でなかなか眠れなかったのだが。)
昼間にも歩いた城壁の上を今度は二人でゆっくりと歩いて行くと、向こうからジョギングする青年が走ってきて私達とすれ違った。見下ろした先にある空き地では男の子達がサッカーに興じていた。中世の面影を残すチェスターの町並は私達のような遠い国の者にもなぜか不思議な懐かしさを感じさせ、まだここから出発もしていないのに、もう一度来たい、と思わせるのだった。
そろそろ暗くなり始めた頃ホテルに戻り、部屋でお茶を飲んだ。この旅行中に泊まったどのホテルの部屋にも紅茶のティーバッグとポット、カップ、湯沸かしが置いてあった。噂通りイギリス人がたとえ暑い夏の最中でも熱いお茶しか飲まないのかどうかは確かめなかったが、少なくともホテルの部屋には必ずお茶が飲める用意がしてあった。イギリスと日本ではそもそも水の質が異なるので日本にいてイギリスの紅茶の味を求めても難しいのだそうだが、それ以外にも日本の喫茶店で飲む紅茶とイギリスで飲む紅茶では異なる点があった。
日本でならたいがいの喫茶店では紅茶を頼むとレモンティーかミルクティーかと尋ねられる。しかしイギリスでティーといえば例外なくミルクティーのことだ。それも日本の喫茶店のようにクリームではなく、文字通りのミルクを紅茶に入れるのだ。日本でファミリーレストランなどに行くとテーブルの上に小さなプラスチックの容器に入ったクリームが置いてあるが、イギリスのホテルの部屋ではあれと同じ形の容器にクリームではなくミルクが入って、ティーバッグとともに置かれてあった。ただし、大きさは2倍か3倍である。そのたっぷりのミルクを紅茶に入れて飲むのがイギリス式のミルクティーであるようだった。私達もイギリスの紅茶に敬意を表して、暑い部屋で(もちろんここチェスターのホテルにも冷房はない)熱いミルクティーを飲んでいた。「暑いときにこそ熱いものを飲めば汗をかいて涼しくなる」というのがイギリス人の言い分だと何かの本で読んだが、少々狭くて窓もあまり広くは開かないホテルの暑い部屋で熱いお茶を飲むと、やはり全然涼しくはならないのだった。
続く
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